Res Gestae Populi Romani

C. Iulius Caesar -Post Rubiconem-


ユリウス・カエサル - ルビコン以後〜ローマ人の物語V 第6章 壮年後期 コルフィニオ開城」まで読了。
新歓コンパがあったので、帰りの電車では読み進めていません。いつもの半分のペース。昨日のお品書きも半分しか消化せず。


カエサルポンペイウス側の人々を何の見返りも求めず釈放しつづけたことに対する、キケロカエサルへ出した手紙へのカエサルの返信。



カエサルよりキケロへ。
 わたしをよく理解してくれているあなたの言うことだから、わたしの振舞いにはあらゆる意味での残忍性が見られないというあなたの言は、信用されてしかるべきだろう。あのように振舞ったこと自体ですでにわたしは満足しているが、あなたがそれに賛意を寄せてくれるとは、満足を越えて喜びを感ずる。
 わたしが自由にした人々が再びわたしに剣を向けることになるとしても、そのようなことには心をわずらわせたくない。何ものにもましてわたしが自分自身に課しているのは、自らの考えに忠実に生きることである。だから、他の人々も、そうであって当然と思っている>

ユリウス・カエサル - ルビコン以後〜ローマ人の物語V 第6章 壮年後期 コルフィニオ開城より
 よく知られている通り、紀元前44年3月15日にカエサルは暗殺されます。そのときの暗殺者は、ここで述べられた「わたしが自由にした人々」だけではなく、カエサル子飼いの武将たちも多くいました。デキウス・ブルータスなんかが代表例です。対して、「わたしが自由にした人々」の代表格は、カエサルの愛人セルヴィーリアの息子マルクス・ブルータス。この両方の人々が暗殺者になったことを考えると、この文章は意外と意味深いものだと思っています。
 と書いて思い出した。3/18のオフ会で、「マルクス・ブルータスとデキウス・ブルータスどちらが好きですか?」という名言が出たんだっけ^^;
 この2人でどちら?と聞かれれば、迷うことなくデキウス・ブルータスですね。マルクス・ブルータスはやっぱり頼りないと思いますし。
「ブルータスお前もか!」はやっぱり、デキウス・ブルータスの方だと思います。