カブールが

陥落したそうですが、今晩のニュースステーションによると、マザリシャリフを制圧した後、アフガニスタンにある幹線道路を積極的に利用して、カブールを含めた主要都市を攻撃していったそうです。これを聞いて、「すべての道はローマに通ず」と思うとともに…。



 上下水道はともかく街道となれば、諸刃の剣である宿命を持たないではすまない。味方の連絡や移動に便利になったということは、敵の情報収集や移動にも便利になったということである。実際、これより数十年後にはピュロスに、百年後にはハンニバルに、自分たちが敷設した街道を攻めのぼってこられて、ローマ人は心臓も止まる思いをするのだ。それゆえ、防御を最大目標とする民族は、道路工事の技術の有る無しにかかわらず、平坦で便利な街道の敷設に熱心でない。古代ではエトルリア民族、そしてヨーロッパ中世が恒例だ。それに反して、地平線まで一直線に続くアッピア街道をたどっていると、古代のローマ人の外向性の標本を眼の前にしている想いになる。だが、頭の片すみでは、これほども敵にさえ便利な道を作ってしまったからこそ、ローマ人は、彼らにすれば自衛の戦いを永久に続ける宿命を負ったのではないか、とも思ったりする。

ローマ人の物語I - ローマは一日にしてならず 街道より