ことばの使い方

 流行だからか、ローカルでおおいに使われているからか良くわかりませんが、そこで使われていても、普通の人が考えて、読んで、話してみておかしいなと思うことばは、普通のシチュエーションでは使わないのが当然だと思うのです。(少なくとも)僕は、そういう言葉のメールを受け取ったり、文章を見たりしたら、吐き気を催すような嫌悪感を抱きますし、そういうメールを出したり使う人の言葉に対する感覚や、受取り手の心情に対する推測不足を考えてしまいます。
 今月のトランジスタ技術は内容が興味深くてじっくり読んだのですが、そういう言葉が使われているところがあって、慌ててページをめくってしまいました。こういう風に思うのは僕くらいなのかもしれませんけれども。今日はそのことばを使ったメールも届きました。その方にはことあるごとに、「やめて下さい」と書いているのですが、やめて頂けていないので、本当に残念です。日常の話し言葉でも使われておられるので、癖になっておられるのでしょうけれども。
 ユリウス・カエサルの言葉のように、「文章は用いる言葉の選択で決まる」のでしょうし、塩野さんが度々書いておられるように、「文章とは、意味を伝えるだけでなく肉体生理も伝えるもの」だと思います。そのようなことばを使う方の「肉体生理」ってどんな感じなのでしょうね。僕もDiaryを書くときは、読んでいて不快に思われないことばを使いたいですし、不健全な「肉体生理」を有していると思われるようなことは書きたくありません。