今日は

ちょっと変わった集まりがありました。どういう集まりかというと、僕が出身した高校の出身者であり、同時に今僕がいる会社にいる or いた方達の集まりです。と言うわけで、僕が一番下で、先輩達ばかりという感じの会でした。
 僕の出身した高校の社員の名簿を見ていると、僕の10上になると全員が何らかの役を持っていてビックリ。一番上の方は前社長で、またまたビックリ。会社に入って10ヶ月以上になりますけれども、自分にこういうつながりがあるとは思いもしませんでした。いままで犯罪者や、日本中から批判の的となるような人ばかりを輩出している高校だと思っていたのですが、そうではなかったんだなぁと認識を改めました。この会が終わって感じたことは、
「やっぱり僕の出た高校って地元志向が強烈に強い、そしてあらゆる面から地元を支えているんだ」
「技術系の人の方が多いのは49期に限らず、長くつづいてきたことなのだな」
ということです。
 もう1つ書くとすると、多くの人のスタイルに気品が感じられたことです。僕が好きな塩野さんのおっしゃっていることに、



 職業には貴賎はないが、生き方には貴賎はある。

終りの始まり - ローマ人の物語XI 第二部 コモドゥス 側近政治 より
がありますが、僕が目にした先輩方は貴い生き方をされており、そのことを誇りに思っておられる方ばかりでした。塩野さんは書いておられませんが、「職業」は「生き方」に大きな影響を与えるものだと思います。今の会社で貴い「生き方」ができるような「職業」というよりも「仕事」をされている方が多いのも今日の収穫だったと思います。
 この貴い「生き方」について考えることになったのも、僕が天高時代の3年間を通じて、つきっきりで指導して頂いた「K先生」が、僕個人に対して(というわけでクラスではほとんど話されず、僕が記憶に残しているのはクラスでは1度だけ)「エリート意識」を何度も強調されておられたことを思い出したからだと思います。「K先生」のお言葉だったのか、どなたのお言葉だったのかはっきりと覚えていないのですが、
「客観的にエリートという立場にある人がエリート意識を持っていない組織は健全じゃないね。」
と言う言葉が何故だか印象に残っていて、僕が組織を動かしている人を見るときの1つの指標になっているのは事実です。
 今日、僕が目にした貴い「生き方」は「エリート意識」と何らかの関連があったのかもしれません。僕はそういう意識をもてるような立場にはありませんから、そういう意識を持っても侮辱されるだけなのは目に見えています。ただ、少しでも先輩方の立場に近づけるように努力して、そのような立場になったら「K先生」が強調されていた「エリート意識」を健全に持っているようになりたいです。
 最初、K先生が「エリート意識」と言われたときに、正直なところ、僕は嫌悪感を持ったんです。というのは、先生の最初の授業が強烈に印象に残っていたからです。今でもラリヘイやBack達とお酒を飲んでいると話題になることなのですが、先生は最初教室に入ってくるなり、自分の名前を黒板に書いて、「私はKって言います。」と書いて、すぐに黒板消しで自分の書いた名前を消されました。普通、そのあと自己紹介でもあっていいのにと思っていたら、続けて、「僕はここの大学で数学を勉強しました」と言って、ある大学の名前を書いて、そのまますぐに名前のときと同じように黒板消しで消されたんです。僕はあっけにとられたと一緒に、「うわぁ、何か嫌なやつやなぁ、これから1年間、この人に数学教えてもらって上手くやっていけるんか? やっぱり、この高校の先生ってちょっと変わった人が多いんや。」って思ったものでした。この最初の出会い3分間の印象が強烈だったので、「エリート意識」と先生に強調されても嫌悪感しかもてませんでした。今でもどちらかというと嫌悪感の方が強いです。というのは、あまり健全な「エリート意識」を目にする機会が少なかったからだと思います。
 そのあとも「K先生」の変わったことって数多くあったのですが^^;、最初の2ヶ月必死についていって、そのあとの3年間の御指導を頂けたことは、本当に幸せなことだったと今でも思っています。と言うようなことを書いていると、「K先生」の御指導は高校の3年間だけではなく、何年か経った後に、はじめて深い意味がわかることも数多くあったのだなと思います。高校時代のノートは2年前の引っ越しの時に処分しましたが、K先生の数学のノートだけは残してます。
 そうそう、もう1つ「K先生」が強調されていたことを思い出しました。
「今の時代、スペシャリストと言うだけではダメだね。ある程度ジェネラリストでもないとね。少しでもジェネラリストに近づくために、哲学、歴史などの本も読まないとダメだね。」