EJ, July 2007 issue

 昨日のDiaryで書いた通り,7月号のEJを進めているのですが,2番目のGaham Hancockさんのインタビューで,次のような内容がありました。



I think the problem is there's that we've become a culture that relies on specialists.
...
we rely a lot on the knowledge of people who are extremely good at doing one thing, and we tend to venerate them, and to automatically assume that they know what they're doing.

EJ Interview Graham Hancock - English Journal July 2007 issue
 この後に歴史学や考古学が細分化されていることに関して,課題点を提起しているのですが,これはどの分野でも当てはまることなんじゃないかなと思います。自分が取り組んでいること。何かあったときに自分が守備範囲としていることについて,「自分の言葉で」「ふつうの人にもわかりやすいように」説明できるようにすることは大切なことだと思います。それと同時に,聞く側や説明を受ける側も,「難しいからわからない」とか「説明する側の説明が悪い」と決めつけるだけではなく,「理解をしよう」という態度が現状の細分化された世界において,スムーズに相互理解を進めていく上でのポイントなのではないかと個人的には思います。

 この次には,日本に代表される東洋と西洋の歴史認識の違いについて,次のように述べられています。



West with the very linear, er, way of thinking that preoccupies the West, with the notion of history as being a straight line from very simple and primitive past to very sophisticated and advanced modern times.
Whreras I think in Eastern cultures there's more of a tendency to view history as a cycle, where what goes around comes around, where things can rise and fall.

EJ Interview Graham Hancock - English Journal July 2007 issue
 つまり,西洋の歴史認識では,「線形性(linear)」即ち,過去の未開の状態から,現在の歴史まではまっすぐ退化することなく進んできているという考えが強いが,東洋では「循環する(cycle)」という考えがあり,浮き沈みがあると考えている。ということになると思います。
 ただ,ローマ史を見るだけでも,浮き沈みはありますし,ローマ帝国崩壊から,1千年近い中性でローマ時代よりも悪いと言われる時期を経験した後に,再びルネサンスで盛り返すという西洋史を見ると,西洋史の事実として,「循環する」というような側面はあるのではないかと思いますが,こういう「線形的」という考えは強いのでしょうか?
 僕がこの話を聞いて思い浮かんだのは,ヘーゲルの「歴史哲学講義」です。
「理性が世界を支配し,したがって世界の歴史も理性的に進行する」
ということが彼の「歴史哲学講義」を貫く1本の軸の様ですが,僕がこの本を読んだときに持った印象は,上でふれられている様に,ヘーゲル歴史認識は「過去から未来には進歩し続ける線形性が強い」というものでした。読んだのは大学時代なので,印象が間違っているかもしれませんが,このインタビュー聞いて,西洋での歴史認識に「線形性」が強く感じられるのであれば,ヘーゲル前後から続いているものなのじゃないかと考えました。