Res Gestae Populi Romani XI - FINIS PRINCIPUM

「終わりの始まり−ローマ人の物語XI」 第1章 皇帝マルクス・アウレリウス まで読了。

 12月に発売される「最後の努力−ローマ人の物語XIII」に備えて、これまでの作品を読み返しはじめました。本当はI巻から読み返せばいいのでしょうけれども、なかなか難しいですからね。文庫版の発売にあわせて読んでいてもよかったのでしょうけれど、今回は「終わりの始まり」のXI巻から読むことにしました。

 マルクス・アウレリウス帝を物語っておられるXI巻の第1章は、ほかの塩野さんの作品と同じようで、違うという雰囲気を感じてしまいます。マルクス・アウレリウス帝に対する塩野さんの敬意というか評価は第1章を通じて感じられるのですが、それとともに、ローマが直面した時代の変化の描写、時代の変化によって生じた新しい問題には根本的な解決ができなかったマルクス・アウレリウス帝とローマ社会の変化を物語っておられる塩野さんの文章は、これまでの興隆期を物語っておられたときや、「海の都の物語」等のルネサンス期を扱った文章とも違うような感じがします。

 第1章の前半で協調されている、「実体験」の重要性については、今の私の立場と通じるところがあるなと思って読んでいます。どこまで「実体験」をするかということの選択も必要なのでしょう。すべて経験することはできませんし、
「『歴史』、書物と言い換えてもよいが、これを学ぶ利点は、自分一人ならば一生かかっても不可能な古今東西の多くの人々の試作と試作と経験までも追体験できるところにある」
ということもありますから。