Divina Commedia - Dante Alighieri

「ダンテ − 神曲」煉獄篇第5歌まで読了。

神曲 煉獄篇 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)

神曲 煉獄篇 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)

 この前に旅行から帰ったときにここまで読んでいたのですが、時間がなくそのときはまとめられなかったので、今日書いておきます。

 読んでいるといろんな人が地獄や煉獄の多くの圏に出てきますが、この圏には誰を置くのかなと考えて、作品を作っていっているんだろうなと考えると、何だか楽しくなってきました。
 あいつはむかつくから、地獄においてやろう。とか、ちょっと世話になったから、煉獄辺りで良いかなとか、あの人は綺麗やから天国においとこう、と考えて作品を作っても良いわけですよね。
 もちろん、これだけで作品ができているわけではないですけれども、フィレンツェの政治に携わったあとに追放になり、生涯フィレンツェに戻ることができなかったダンテの生涯を考えると、こういう「楽しみ」も神曲の中にすこしはあるのではないかなと思って読んでいます。
 でも、オデュッセウスが策を使って、戦争で人を騙したから地獄の第八嚢で日に焼かれ続けているというのは納得いかないですねぇ。ダンテの後に続くルネサンスではダンテも生まれたフィレンツェマキアヴェッリが生まれるんですけれどもね。



 どの口にも一罪人を入れ、おのれの歯で噛み砕くこと、砕麻機をもってするごとく、さればかれの呵責を受ける罪者はつねに三人。

 全面の罪者にとり、その背中が時として皮ぐるみ剥がされているのを見れば、噛まれるのは爪で引き裂かれるのに比べ、苦痛、ものの数ではあるまじ。

「あの天辺で最もひどい罰を受けているのは」と師は言う、「ジュダ・スカリオット、その頭は口内にあり、脚はまだ外にうごめく。

 頭を下にしているほかの二者のうち、黒い鼻面から垂れ下がるはブルート、見よ、あのように身もだえはすれど、一語も発しない気丈さを!

 残る一者はカッシオ、見るからに堂々たる体躯のもちぬし。なれど夜は再びせまる。いざ、われら、出で立たねばならぬ。既に凡てを見終わったから。」

ダンテ 神曲 地獄篇 第34歌より
というわけで、ダンテは地獄の最深部でルチフェルに罰せられている、最もひどい悪人の3人を、イエスを裏切ったイスカリオテのユダカエサルを裏切った、マルクス・ブルータスとカシウス・ロンギヌスにしています。この考え方は興味深いですね。イスカリオテのユダキリスト教の考えからすれば当然でしょうけれども、カエサルを裏切った2人をここにおいていると言うことは、中世末期のヨーロッパ人の彼らに対する評価を見ることができると思います。

 ユリウス・カエサルは、地獄の入り口である辺獄にいますが、それはイエスが生まれるより前に生まれてしまったという理由だけで、もし、イエスの死後に生まれたのなら天国にでもおいたのでしょうか? カエサルが生前、ユダヤ教を保護していたことと関係あるのでしょうね。


「誰そ、光ささぬ流れさかのぼり、永遠の獄からのがれ出たそこもとらは?」と、礼さそう髭を動かし、かれは言う。

ダンテ 神曲 煉獄篇 第1歌より
 彼というのは小カトーのことで、煉獄を守護しています。彼を煉獄の守り主にしたのは、彼の生き方からダンテが判断したのだと思いますが、彼の死に方や政治的なスタンスは中世やルネサンスを通じて多くの人に影響を与えたのだと言うことを、ここにも見ることができました。