ルネサンスの女たち − ルネサンス著作集2

ルネサンスの女たち」第二部 ルクレツィア・ボルジア まで読了。
足下を見直す読書も2冊目に入りました。2冊目ですが,塩野さんの処女作になります。やはり,処女作と言うことで,ローマ人の物語を読んでいるときとは,(中身ではなく)文章に対する印象は違うのですが,塩野さんのお考えが強く伝わってくる作品だなと思って読み進めています。これまで読んだときはあんまりそうは思わなかったのですけれども,どうしてなのでしょうか? 僕の中でもいろいろ変わってきたのかもしれませんし,塩野さんが処女作をお書きになった年代に近づいてきたと言うことがあるのかもしれないなと思っています。

 第一部のイザベッラ・デステは,若い頃の塩野さんが生き方のモデルとされた女性を作品として取り上げられたんだろうなという印象を持っています。ただ,読み返す前には,全体のストーリーではなく,断片的なエピソードしか印象に残っていなかったのですが,その理由が今回の再読でわかったような気がします。作品としても,断片的なエピソードを時系列に並べて集めたものになっているんですよね。これは,当時の女性を主人公として,作品にした以上,ある程度仕方がないことなのかもしれません。こういう女性を主人公として作品をお書きになった塩野さんとまわりの方々の決断は勇気のあることだなと思います。今の時代でもなかなか出来ることじゃないんじゃないかなと思いますが,どうなのでしょう?

 第二部のルクレツィア・ボルジアは,「チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷」をルクレツィアの視点から見たものという印象は変わりませんでした。ボルジアについては,第3巻の「チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷」に「神の代理人」,「我が友マキアヴェッリ」でも取り上げられますから,今回の再読ではルクレツィアの視点から見た概略というとらえ方を私はしています。



悪いこともできない代わり良いこともできない人間、つまり彼らのように何ごともできない人間に対して、ルネサンスという時代は厳しい時代であった。

ルネサンスの女たち 第ニ章 ルクレツィア・ボルジアより