わが友マキアヴェッリ フィレンツェ存亡 − ルネサンス著作集7

「わが友マキアヴェッリ フィレンツェ存亡 − ルネサンス著作集7」第二部 マキアヴェッリは,なにをしたか 第九章 チェーザレ・ボルジア まで読了しました。
 新婚旅行で訪問した部屋のことも書いてあります。



 ここが,マキアヴェッリの執務室であった。現在は,観光案内書あたりでも,「アンティーカ・カンチェレリア」(古の書記局)と説明されている一画で,マキアヴェッリの画像ひとつと,これもマキアヴェッリの木製の胸像が,照明を浴びて置かれている。画像のほうは,何となく気恥ずかしそうな表情をしており,木像のマキアヴェッリはしょぼくれた表情で,パスポート用の写真のような顔つきをしている。輝けるフィレンツェ共和国時代の象徴であった大統領(ゴンファロニエレ)の執務室も保存されていないのに,一ノンキャリア官僚のオフィスが史蹟になっているのは,その後五百年の間物議をかもしつづけた,マキアヴェッリの文名のためである。

わが友マキアヴェッリ フィレンツェ存亡 第二部 マキアヴェッリは,なにをしたか 第六章 ノンキャリア官僚初登庁の日 より


 ニコロ・マキアヴェッリの生涯を通じての関心は,彼自身の言葉を使えば,「国政の技術(アルテ・デッロ・スタート)」であった。この彼にしてみれば,フィレンツェ共和国第二書記局書記館の職くらい,面白い立場はなかったのではないだろうか。最新の情報に接するくらい,この種の好奇心を刺激するものもないからである。そのうえ,大使にはなれなくても大使の副官としてならば,各国のリーダーたちと直接会い,話す機会も多い。政策決定権はなくても,政策立案に際し,聴き容れられるか否かは別にしても,自分が受け分析し総合した情報をもとにした,意見を述べることはできたのである。

わが友マキアヴェッリ フィレンツェ存亡 第二部 マキアヴェッリは,なにをしたか 第六章 ノンキャリア官僚初登庁の日 より


 ヴァレンティーノ公爵チェーザレ・ボルジアは、マキアヴェッリのもっていた考えを一変させたわけではない。マキアヴェッリがすでに、漠とはしながらもいだいていた想いに、はっきりとした形を与えてやっただけである。つまり、マキアヴェッリの想像力を、誰よりも刺激した人物なのである。二人が出会ったとき、マキアヴェッリは三十三歳、チェーザレは二十七歳だった。

わが友マキアヴェッリ フィレンツェ存亡 第二部 マキアヴェッリは,なにをしたか 第九章 チェーザレ・ボルジア より


 チェーザレ・ボルジアとニコロ・マキアヴェッリ。これ以上マキアヴェッリ的な君主もいないと思われる君主と、マキアヴェリズムの創始者。この二人は、たしかに三ヶ月もの間一緒にいたのだ。
    …中略…
 マキアヴェッリチェーザレに、自分の夢の具象化を見出したのであろう。美男で鋼鉄製の鞭のような肉体をもち、立居振舞いは若さに似ず、威厳と気品にあふれている。愛されるとともに怖れられ、征服した領土には略奪を許さず、ときを置かずに統治の策が実施される。すべての面で従来の考えから自由であり、その一例をあげれば、傭兵制度を信用せず、国民皆兵制度の導入を実行に移しつつある。そして、決断力に富み、武将としても優れ、かつ戦略的頭脳をもち、人の思惑など気にしない貴族主義者。
 となれば、マキアヴェッリの想像力を刺激しない方がおかしかったであろう。

わが友マキアヴェッリ フィレンツェ存亡 第二部 マキアヴェッリは,なにをしたか 第九章 チェーザレ・ボルジア より