最近気になっていること



 二分割にしたのは、一人では解決不可能と見たがゆえの決断であった。自分には、五年という短期間で三分されていた帝国を再統合したアウレリアヌスのような、卓越した軍才はないと認識したディオクレティアヌスの、この時期の判断の的確さは賞賛に値する。ちなみに、皇帝アウレリアヌスが縦横無尽の活躍をしていた時期は、ディオクレティアヌスの二十五歳から三十歳までの時期と一致していた。この年代を学ばないで過ごしてしまった人は、一生学ばないで終わる。当時のディオクレティアヌスは無名だったが、優れた観察力の持ち主ではあったのだろう。

最後の努力 - ローマ人の物語XIII 第一部 ディオクレティアヌスの時代 「二頭政(ディアルキア)」 より
 僕が「最後の努力」を読んでこの文章に出会ったのは、ちょうど26歳の誕生日を迎えてすぐのことでした。この文章を読んだときに、その重要性が多少なりともわかりましたし、頭から離れない状態です。新生活が始まって、2年目が終わり、3年目に入ろうとしています。ちょうどそのころに、仕事の内容も勤務体系も変わりました。このなかで、30歳までの残りの5年(30歳も含めて)を、どのような内容をどのようにして学んでいけばいいのか、しばらく模索している状態です。先日の月刊現代でのインタビューでもこの言葉があり、次のように塩野さんは述べられています。


 これもまたスポーツと同じ。訓練すべき年頃というのがあって、その年頃にやらなければ、後になって鍛えても筋肉はうまく応えてくれない。考えるのも訓練なのです。

 ……

 それがどうして25歳から30歳までなのか。学ぶというのは自分の仕事を始める前の段階、つまり、仕事をしている人をそばで見て学ぶという段階です。本当に仕事ができるのは30歳からでしょう。

月刊現代 2005年 3月号 日本の危機、世界の対立 より
 この文章は「なぜ、自分が現在の業務に従事しているのか」という理由の1つを与えてくれるものなのでしょう。また、自分がこれから従事するかもしれないことについて、観察して、考察し、問題点を洗い出し、解決策を準備しておくことも、この文章にある「そばで見て学ぶことの1つ」につながるのかなと考えています。
 そして、この「そばで見て学ぶ」というのも、いろんなスタンス、ポジションで実行しなければいけないですし、そうすることで視野が広がり、将来に活用できるのではないかと思うのです。ですから、たとえ充分な時間ではないにしても、いくつかの職場で、何種類かの仕事に従事して、「見て学ぶ」とともに、これまで従事していた業務を、現在のスタンスで観察して考えてみる事も大切だと考えています。この中には、上から見たり、下から見たり、右から、左から考えてみるなどいろいろあるのでしょうけどね(とちょっとボカして書いておきます)。
 
 この文章を読んで、もう1つ気になっていることは、この「25歳から30歳までの間に塩野さんは何をされていたのか」ということです。 この時期については、塩野さん自身があまり物語られていないのです。わかっている事実としては、26歳のころにイタリアへの遊学を始められたこと、そして30歳まで遊学を続けられ、その成果の1つとして31歳のときに、処女作の「ルネサンスの女たち」(isbn:4106465019)を執筆されたこと。
 ローマ人の物語のXIII巻という後半部であるとはいえ、「この年代を学ばないで過ごしてしまった人は、一生学ばないで終わる。」とまで書かれた時期です。塩野さんがいったい何をされ、何を学ばれたのか。どのような「仕事をしている人をそばで見て」学ばれたのか。すこしでも、それを知ることができる手段があればいいのに。と考えてしまいます。エッセイやこれまでの著作などで、断片はあるのですけれども。
 とはいえ、「自分で観察して学ぶ」対象を見つけ出し、どれが一番自分にとって必要なのかを選別し、実際に「観察して学ぶ」という作業が、この年代で「学んで飛躍する」ためには必要な事柄なのかもしれません。


 ダンテの神曲が終わったら、足下を見つめ直す読書をしようかなと思っています。ちょうどタイミング的にはいいかなと思っていますし。ラインナップとしては7+15の22冊を。読了の目標は来年の年末。というのは後者の15冊のうち、14作目は今年の末、15作目は来年末に出ると思いますので。と、書くとどういうことかピンとくる方も多いでしょう。って上でほとんど答えを書いてますね^^;