わが友マキアヴェッリ フィレンツェ存亡 − ルネサンス著作集7

「わが友マキアヴェッリ フィレンツェ存亡 − ルネサンス著作集7」第一部 マキアヴェッリは,なにを見たか 第一章 パッツィ家の陰謀 まで読了しました。
 塩野さんの「ルネサンス著作集」の最後を飾る作品です。塩野さんのルネサンスものは,芸術作品の解説ではなく,ルネサンス期のイタリアやヨーロッパ世界を舞台にした「政治史」という側面が強いのですが,この「わが友マキアヴェッリ」はマキアヴェッリという人物がフィレンツェ共和国で「なにをしたか」,そしてその後に「なにを考えたか」ということが政治と不快つながりがある以上,ルネサンス期のヨーロッパ,とりわけイタリアを取り巻く政治事情を把握しておくことで,理解が深まる作品です。ルネサンス著作集の「最終巻」と言うことで,これまでの6冊の内容を頭に入れて読み進めて,新婚旅行に備えたいと思います。でも,旅行までに読み終わるかなぁ。まぁ,飛行機の中や電車の中で読んでも,いいと思いますけれどもね。ただ,「ルネサンス著作集」だと,文庫版と違って,大きさと重さがありますが^^;

 この作品の中には,僕が最初に読んだときには気がつかずに,アヤコさんに指摘されてはじめて気がついた大切な一節があります。その一節は作品の後半に出てくるのですが,その一節に出会うまで,淡々と読み進めていくことにしましょう。

 今回フィレンツェに行くときに,サンタンドレアの山荘にまで行ってみることはできないかな? と考えたりしましたが,フィレンツェからは10kmくらい離れているようです。初めてのイタリア行きですし,今回は厳しいかなと思っています。フィレンツェだけでも,見るところはたくさんありますからね。



 その庭に出て,何気なく右手の方角に眼をやった私は,旨に,鋭い刃物かなにかで突かれたような,肉体的な痛みを感じた。
 フィレンツェが,見えるのである。右手の下方はるかに,サンタ・マリア・デル・フィオーレの,レンガ色に白い稜線の走る丸屋根が見えるのだ。
 クーポラの下には,フィレンツェがある。物体としての都市だけでない,当時のイタリアで最も華麗な花を咲かせた,都市文明があるのだった。
 当時は,国家が都市を作るのではなく,都市が国家を作る時代であった。都市国家とは,フィジカルな現象を表現するだけの,名称ではない。
 イタリアがルネサンス運動の発生の地になりえたのは,国家が都市をつくるのではなく,都市が国家をつくるというこのことに,古代以来,はじめて目覚めたからである。そして,フィレンツェ人は,ヴェネツィア人と並んで,この意味での都市をつくりだした民族なのであった。
 海の都といわれたヴェネツィアも,花の都とたたえられたフィレンツェも,いずれも、
 はじめに都市ありき
 で共通している。都市が先に生れ,国家は,その都市のもつ性格の延長線上に,自然な勢いのままにつくられたのである。

わが友マキアヴェッリ フィレンツェ存亡 序章 サンタンドレアの山荘・五百年後より


 学校とは,教師が学生に教える型のものとはかぎらない。とくに,眼をあけて生まれてきた男ならば,学校は,あらゆるところに存在する。二十九歳にしてスタートする前のマキアヴェッリは,それまでになにを見たのであろうか。なにを学んだのであろうか。

わが友マキアヴェッリ フィレンツェ存亡 第一部 マキアヴェッリは,なにを見たか 第一章 眼をあけて生まれてきた男 より


 都市国家であるフィレンツェ共和国の独立と自由を守ることが,同じ文明圏としてのイタリアの独立と自由を守ることにつながり,またそれに専念しさえすれば,フィレンツェの独立と自由を守ることになって返ってくるという,確信をもてた時代に生きたのがロレンツォ・デ・メディチである。反対に,二十年遅れて生まれてきたばかりに,マキアヴェッリは,都市国家であるフィレンツェ共和国の独立と自由を守ることが,同じ文明圏としてのイタリアの独立と自由を守ることにつながらず,またそれに専念すればするほど,フィレンツェの独立と自由を守ることになって返ってこないという,時代に生きるしかなかったのであった。

わが友マキアヴェッリ フィレンツェ存亡 第一部 マキアヴェッリは,なにを見たか 第二章 メディチ家のロレンツォ より