ローマで語る

 塩野さんと息子さんのアントニオ・シモーネさんの対談の本である「ローマで語る」が日本から届いたので,読み,読了しました。これまでの塩野さんの作品には無いタイプの本でしたが,面白いと思いました。どちらかというと,塩野さんの本と言うより,息子さんの本と言うような色合いが濃いのかなと思いました。塩野さんの作品で,映画を題材としたものには「人びとのかたち」がありますが,これはエッセー形式です。それに対して,この作品では,息子さんを中心になさった対談形式と言う形をとっていますので,より読みやすい作品なのかなと思います。
 また,読者の想定も,息子さんに近い年代(と言うことは,我々の世代)を対象として,ほかの作品よりも,若い人にシフトしているのかなと感じました。
 塩野さんの作品は歴史もの(ルネサンスものとローマ人の物語)とエッセーという2本立てですが,最近,エッセーは,文藝春秋の「日本人へ」が中心で,これはまだ連載が続いており,単行本が出ていませんので,久しぶりのエッセーものと言うことになるかなと思います。
 この形式としては,「私としては最初にして最後の著作」と言うことですが,塩野さんの数多い著作の中で,このような作品があるのも面白いのではないかと考えます。

 作品の最初にある「これを読んでくださる方へ」で,



 子供を育てあげるということはやはりすばらしい。そういうことをやったことのない人は,若い世代の理解も意識して努めなければならない。ところがわれわれは,その理解への機会が,すぐ身近にあるのですよ。無意識に子とおしゃべりしているだけで,ごく自然に若い世代をわかるようになる。

ローマで語る これを読んでくださる方へ より
というのは,まだはじまったばかりの子育てをしている身には,なるほどと思えます。

 また,作中で興味深いなと思ったことは,アントニオさんの一人称が「ボク」だったこと。イタリア人と日本人のハーフで,イタリア人の立場として対談なさっていることから,この「ボク」なのでしょうか? 漢字よりも近い表現なのかなと思っています。



アントニオ この二作を観ての感想を言う前に,塩野さんに聞いてみたい。なぜ塩野さんは,「私の世代ならば影響は少ないけれど」と言ったんですか。

塩野 その理由を列記しましょう。

まず第一に,私の世代から少し下までの人は,楽観的に考えても生きるのはあと十年か二十年にすぎないということ。

第二は,生涯の仕事と呼べることを,一応にしろやり終えたと言える世代であること。

第三は,どんな不況が襲ってきても,これまでのストックでどうにか食べて行ける状態にあることね。住む家もあるし,年を取れば食も質素になり量も少なくなるから,不況に耐えるのもさしたる苦ではなくなるのよ。

アントニオ となれば,ボクの世代はこの三条件ともをもっていないということですね。平均年齢を考えれば,ヘタすればあと五十年は生きなければならない。その間に,生涯の仕事をやり終えるには大切な条件である,終身雇用とか定収入は,まったく期待できない。住む家も,親だって長生きする時代,ころがりこむこともできないから自分でどうにかする必要がある。食も,適度には必要だ。一言で言えば,親の世代が経験した厳しさとは様相のちがう厳しさを覚悟しなければならない社会で生きていく必要があるということです。

ローマで語る 30 昔の映画を観て今を考える より



塩野 それまでの私は,自分が組織に属した経験がないこともあって,失業とは生活の手段を奪われること,ぐらいにしか考えていなかった。ところが,この映画を観て眼を開かされたのね。失業とは,普通の健全な生活者にとって,生活手段を奪われることでは済まない。自分自身の尊厳,と言うか自信,をもつためには必要な手段さえも奪われることだ,とわかったんです。リストラされるということは,性格破綻にもつながるほどの大変な不幸であるということが心から納得がいった。そしてそれがわかったからこそ,二千年昔のローマでこの問題の解決に努力を惜しまなかった,それがために殺されてしまうことになるグラックス兄弟が,初めて充分に書けた,と今でも思っています。

ローマで語る 30 昔の映画を観て今を考える より



アントニオ 「陽の下に新しきことなし」が,人間社会の真実を映し出しているということには賛成です。だけど,それだからあきらめて何もしない,というわけにはいかない。塩野さんの世代ならば,生涯の仕事はやり終えたと言えるのだからそれでいいでしょう。生涯の仕事をやりとげるということは,それによって自信も確立した,ということですからね。

しかし,ボクの世代はそうはいかない。自信を確立して行く手段である仕事でさえ,容易には期待できなくなった世代ですよ。仕事の性質からしてボクは初めからそれを期待してい中田けれど,普通の若者ならば望む,定職や終身雇用なんて夢の夢になった時代です。

五十代の失業も悲劇です。しかし,職業に就く機会さえも初めから与えられない若者の悲劇は,どういう悲劇になるんだろう。

ローマで語る 30 昔の映画を観て今を考える より



アントニオ 喜劇のほうがしばしば,悲劇よりも悲劇的なんですよ。ごく普通の人びとが,なりたくもなかったドラマの登場人物になってしまうという点において。

ローマで語る 1 これだけは観て欲しいイタリア映画 より



アントニオ エンターテインメントというと単なる娯楽かと思ってしまうけれど,この言葉のもともとの意味は,観客に満足してもらうということだから,最後まで満足して映画を観てもらえればいいんです。テーマが重いか軽いかには関係なく,このことを頭にたたきこんで作るところが,アメリカ映画の底力だとボクは考えています。

ローマで語る 2 アメリカ映画の底力 より



アントニオ 「エンターテインメント」と聞くと,単なる娯楽作品だと思う人が多い。しかしこの言葉の真の意味は,楽しませることだけでなくて,「引きずりこむ」ことにあるんです。B級映画も良くできた作品には,必ずこの要素がある。メッセージを,わざわざ伝える必要はない。アクションであろうと何であろうと,観る人を引きずりこんで離さない,という要素が充分にあれば,興行的には間違いなく成功するんです。ボクは絶対に,これらBムービーを軽蔑できない。

ローマで語る 20 Bムービー賛歌 より



アントニオ アメリカ人は,映画製作をビジネスと思っている。イタリア人は,アートと信じている。ビジネスだから組織をきっちり作り,各自が担当する分野を明確にする。一方,アートになると,その人にとっては自らの才能を発揮することが最重要時になるから,整備した組織や担当分野の明確化は,才能の発揮をじゃまするものだとして拒否する傾向が強い。

ローマで語る 5 イタリアとアメリカで映画作りはこんなにちがう! より



アントニオ 自由市場でのマフィアなんて、存在しませんよ。マフィアのマフィアたる所以は,その分野の独占なんです。

ローマで語る 6 映画製作とマフィア より



アントニオ ナチに関することはすべて醜悪として決めつけるのでは,もうボクたちの世代は納得しないのではないか。美しいことは美しい,と認めたうえでナチズムと対決したほうがよいのではないかと思います。ナチの将校服は,どこの国のものよりも美的に優れているのは事実なんですから。それに,人間にとって本当に危険な存在は,醜い悪魔よりも美しい悪魔であることは,キリスト教でも認めていることですよ。

ローマで語る 8 若者はヴィスコンティをどう観るか より



アントニオ 当然の話を当然とは感じさせなくすることも,芸術家だからこそできることなんですね。なぜなら,やってはならないとわかっていてもやってしまうのが人間であって,その不条理を美しく描くのも芸術だからです。

常識ならば,結果は明らかなのだから初めからやるべきではなく,それでもやるのはバカということになる。でも,それでも人間は,わき起こる感情は押さえきれない。灯に引き寄せられて,焼かれてしまう虫みたいに。

ローマで語る 8 若者はヴィスコンティをどう観るか より



アントニオ 映画の製作の現場は,戦場と似ていて臨機応変の世界なんです。脚本も,なくては困るけれど,きちんとしすぎていても困る。監督は指揮官。だから脚本も,そのときになったら変わっていたりする。

ローマで語る 9 マストロヤンニは何故女性にモテるのか? より



塩野 才能ではなくて執着なんですよ。魅力的な作品を作りたいという,強烈な願望の結果にすぎない。魅力的な主人公を造り出すのにさえ成功すれば作品も魅力的なものになるとは,映画にかかわらずクリエイティヴな仕事をしている人ならば、教えられなくても知っているからです。

ローマで語る 19 黒澤明の思い出 より



アントニオ フェアなんですよ,あくまでも。ミック・ジャガーもやっぱりイギリス人だ。なぜなら,温かく守り立ててやるよりも自分と対等にあつかうほうが,よほど相手を認めていることになるからです。だから,われわれも,気分良く観ていられる。上下よりも対等のほうが,ずっとフェアであることがわかるから。

ローマで語る 24 経営のコツはローリング・ストーンズに学べ より



アントニオ 遅れてキャリアが始まったから,酒にもドラッグにも溺れている暇なんてない。やりたいことがはっきりわかっている人間には,スキャンダルを起こしている暇などないんですよ。

ローマで語る 31 シンプル,でありながら深い より