RES GESTAE POPULI ROMANI XV - ROMANI MUNDI FINIS

「ローマ世界の終焉 - ローマ人の物語XV」読了しました。

ローマ人の物語 (15) ローマ世界の終焉

ローマ人の物語 (15) ローマ世界の終焉

 塩野さんの15年,と言っても,この15年というのは作品として出版されてきた期間に過ぎませんので,その前には膨大な準備期間はあったのでしょうけれども,その作品もついに完結し,読む私のほうも読了しました。塩野さんが伝えたいと思われたことのどれだけが理解できたかわかりませんが,私にとってえられたと思うことも多く,ローマ史の流れや個別の出来事だけではなく,その後ろにある政治思想や哲学にも少しは触れられたのかなと思っています。
 塩野さんの書かれた通史は「海の都の物語」と「ローマ人の物語」の2作品になりますが,この2作品は完全に離れている訳ではなく,後半の部分で少し絡んでくるという位置付けですね。衰亡に関する考え方に関しては,「海の都の物語」と「ローマ人の物語」とでは対象もちがいますし,塩野さんの書いておられる時期もちがうと言うこともあって,少しは変わってきておられるのかなと思います。また,塩野さんのスタンスも,次の文章に表れているように2作品では違っているようです。


 この最後の五巻ではとくに,「なぜ」よりも,「どのように」衰亡していったのか,に重点を置いて書くことにしたのである。

ローマ世界の終焉 - ローマ人の物語XV 終わりに より
 また,塩野さんという作家の考え方という側面から見るならば,この「ローマ人の物語」でもポイントとなる部分は「海の都の物語」と同じ後半部分,塩野さんの分類なら,「最後の三分の一,第十一巻から始まって第十五巻で終わる時代」になるのかなと思います。
 ただ,サイレント・マイノリティの私の衰亡論と題したエッセイで,海の都の物語の衰亡に対する私の考え方と明記されたこととは異なり,ローマ人の物語では,まだそのように明記されたところはありませんし,一度通読しただけでは見つかりませんでした。塩野さんの言う,


 この『ローマ人の物語』全十五巻は,何よりもまず私自身が,ローマ人をわかりたいという想いで書いたのである。書き終えた今は心から,わかった,と言える。

 そして,読者もまた読み終えた後に「わかった」と思ってくれるとしたら,私にとってはこれ以上の喜びはない。なぜなら,書物とは,出版社が本にし,それを読者が読むことで初めて成り立つ媒体だが,この三者をつなぐ一本の赤い線が,「想いを共有する」ことにあるのだから。

ローマ世界の終焉 - ローマ人の物語XV 終わりに より
という「わかった」とまでは達していないのが正直なところです。もう一度,通読してみるという行為も必要でしょうし,「わかった」というためには,関連の書物などにも目を通しておかないといけないのでしょうね。塩野さんが15年をかけて作られた作品を毎年1巻ずつ読むだけで理解しようとは思っていませんし,時間をかけるとともに,理解を深めていくという行為が必要なのかなと思っています。
 この作品を15巻読むことができて良かったと思っています。次の塩野さんがどのような作品に取り組まれるのかわかりませんが,まずはこの「ローマ人の物語」の完結に対して,
「どうもありがとうございました。」
と心よりの感謝の言葉を申し上げたいと思います。