神の代理人 - ルネサンス著作集6

「剣と十字架」まで読了。
 書き出しの


 動機が純粋で真面目であり、利己的でなかったという理由だけで、その行為の結果に対する人々の評価が驚くほど寛容になるのには、暗澹たる気持ちにさせられる。
 そういう人は、一私人としてみれば、善人で尊重すべき人物で済むのである。だが、彼が、多くの人の生活に影響を与える立場と力を持つ人物であった場合、はたして、その動機の純粋さを賞め称えるだけで済むであろうか。利己的でないということは、それほど立派な免罪符であろうか。
神の代理人 剣と十字架 書き出しより
の通り,影響力のある人,組織の上に立つ人間が,長期的なヴィジョンなしに,行きあたりばったりで事態に対処した場合にどれだけ周りが迷惑をするのかということを,この「剣と十字架」を読むたびに考えてしまいます。理想を実現するためにはどのようにするのか。そのアプローチが「アレッサンドロ六世とチェーザレ・ボルジアの親子」と「ジュリオ二世」でどのように違うのかが,この作品で際だって描かれていると思います。
 僕も行きあたりばったりになっていないか,短期的な視野で留まっていないか,いろいろ見返してみないといけませんね。