神の代理人 - ルネサンス著作集6

 読了しました。
 ルネサンス時代という言葉で連想される文化振興を実現するとともに,政治的な複雑な情勢だった15世紀,16世紀のイタリアの政治的状況の支配者の1人としての職務を果たし,なおかつ後に宗教改革を呼び起こすような立場に置かれることにもなる,カトリックの首長としての役割など,多くの側面と重要性を持つローマ法王を描いたこの作品を久しぶりに通読しましたが,前回とは違った印象を持って読むことができました。それにはやはり,社会人になって,組織についてあれこれ考えたり,組織の一員として行動することの位置付けや,組織の上役からの指示を受ける立場になって,あれこれ考える場面も増えたということがあるのかなと思います。
 この作品に通じる塩野さんの思いは,メイキングに記された次の文章の通りだと思います。



 ローマン・カトリックという馬車は,二つの車輪によって動いている。車輪の一つは,後進国での奉仕に従事していて,貧しさに耐え,殺される恐怖にも耐え,つまり神に身を捧げる喜びだけで奉仕活動を続けている聖職者たち。そしてもう一つの車輪は,全世界に数億の信者を要する大組織を,国家のリーダーや私企業の社長顔負けの合理主義で運営するエリート聖職者たち。現存する最古の組織である法王庁のその長命の秘密は,互いに相反する能力を持った人々が,それぞれに適した車輪となって,カトリック教会という馬車を動かしているところにある,とわかったのですよ。もしも両輪ともが,僻地で奉仕する人々や貧しい人々に食事を与える人々で成っていたり,また反対に,法王庁のエリートたちだけで成っていたとしたら,絶対に長命を保つことは出来なかったはずです。人間世界に必要な両面,その二つともを左右の両輪にしたところが,法王庁の長命の秘訣であったのではないか,と。

メイキング『神の代理人』より
 ちなみに,この作品に対して,私は7年前に,以下のような感想を書いています。


 この「神の代理人」では、法王の宗教的な側面よりも、神の地上での代理人であることでどうしても特殊にならざるを得ない法王の政治的な側面や人間的な面にスポットを当てて、それを塩野さん独特の筆で描かれています。普通の人は、法王を宗教人と見るのに対して、塩野さんはどの作品でも一貫して、法王を君主や政治的人物と見ておられますから、このような描写になるのは仕方のないことなのでしょう。………
 この4つの物語からなる「神の代理人」のすべてを通じてのテーマは、宗教界の長と言えども、大多数の人間の上にたつ人物は、理想通り純粋な宗教人でいることはできず、人間の心理や政治的な事象にまで目を向けて行動しなければならない。という塩野哲学なのでしょう。

 そして,この「神の代理人」の最後の法王である,レオーネ10世の生涯の記述をこの文章で終えることで,ルネサンスという時代が終わったことの意味の一つを,塩野さんは述べられています。



 自分に向けられているにかかわらず,エラスムスの風刺と嘲笑の精神を愛し,ルターの非難と弾劾を平然と受けたほど,自己の優越性を確信していた,真に帰属的な精神の持ち主であるこのメディチ法王の死とともに,ローマは,イタリアは,世界史の主人公の座から降りる。ルネサンスは終わったのである。
 ルネサンスの死を決した最後の一撃は,彼の死の六年ゴアの一五二七年にくだされた。皇帝カルロスの派した大群によって,ローマは,古代ローマ帝国滅亡以来と言われる,破壊と掠奪を受けたのである。
「ローマ掠奪」の主役は,カトリック教徒である皇帝ではなく,ローマ侵入とともに群島とか下,ルター派信徒のドイツ傭兵であった。清く正しいキリスト教徒である彼らドイツ人にとって,ローマは,ルターの弾劾の言葉どおり,異教徒トルコ人すら吐き気を催す堕落と退廃の都であり,正義の民が,神に代わって神罰をくだすべきものの筆頭であったからである。これが,欲に目のくらんだ群盗に,大義名分を与えた。ローマは,アルプスの北の勝利の歓呼を聞きながら,廃墟と化した。
 この後に起った反動宗教改革でも,ローマは,イタリアは,もはや主役を演じなかった。スタンダールにいわせれば,あまりに厳しすぎてイタリア人の気質には合わず,早々にスペインにご移転願った,となる。聖職者が俗人に仮装することも,俗人が聖職者に仮装することも厳禁され,システィーナ礼拝堂の壁画のミケランジェロ描く裸体のキリスト像も,ブルーの絵具で腰布を巻きつけられ,法王庁所蔵の古代の裸体彫刻も,世紀をいちじくの葉型の石片で隠される時代。そして,この時代に吹きまくった嵐,宗教裁判所や魔女狩りのようなことは,正義の民などというものを少しも信じていなかった,ルネサンス的なイタリア人のやれることではなかった。

神の代理人 ローマ・十六世紀初頭より