決壊 - 平野啓一郎

 平野啓一郎さんの「決壊」を読了しました。一気に3日でという感じですね。こういう作品については,どういう文章で書けばいいのでしょうか? これから読む人のことも考えないと行けないでしょうし。今のところは2007年11月の「平城遷都1300年 奈良・読書の旅」の平野さんの「決壊」に対する質疑応答を思い返しました。
 いろいろと疑問に思うところは残っているのですが,これだけ大きなスケールの作品を,現在の社会を取り巻く多くの要素を取り込んで構成されているということに感銘を受けました。

 また,Webがきっかけで今の生活をしていますが,この「決壊」を読んでいると,Webを使うことで,よい方向に行ったのは,道具の使い方を「警戒」して,悪い方に「決壊」しなかったということもあるなと考えました。Webは非常に有用な「道具」です。それをどのように使うかは人それぞれでしょうが,せっかく使うのなら,リターンを大きく使いたいものです。また,悪いように使われた場合への対処法を,常にupdateしておく必要があると言う,昔からの思いを強くしました。

「平城遷都1300年 奈良・読書の旅」でのメモから

・現在執筆中の「決壊」は幅広い対象の「決壊」を対象としている
・平野さんの作品では,技術の境目を舞台にした作品が多い。葬送の産業革命の時代,日蝕ルネサンスの時代,決壊のWeb技術を舞台にしたものなど。これは工学的な技術そのものを対象とするだけではなく,工学的な技術が政治的,社会的にどういう影響を与えるのかを書いてみたかったため。Webは知識的な境目になり得る。例えば,教育ということを例に取ると,最初はソクラテスプラトンのように,師と弟子の1対1の形式が取られていたことから,書籍という形態を取り,今はWebで入手するように形態が変わっている。このような変化は作家として刺激的な題材である。
・「決壊」という作品を書きながら,自分が「決壊」しない秘訣は,自分の作品をある意味で自分とは切り離しながら書いているところにあると思う。また,あまり細かいことを気にしない性格もあるのでは?
・作家という仕事は社会の圧力が強いときはその圧力に対して単純な態度を示して対応することができる。しかし,社会の圧力が弱い時代においては,単なる社会の現状に対する反対だけではなく,それではその現状に対してどうするかというcreativityが必要になってくる。

決壊 上巻

決壊 上巻

決壊 下巻

決壊 下巻