受胎告知 - 東にて4日目

 今日は東での最終日になりました。今日は上野で開催している「レオナルド・ダ・ヴィンチ―天才の実像」にてダ・ヴィンチの受胎告知を見に行ってきました。司馬総さんのサイトMEDITERRANEO 塩野七生の世界のオフ会だったのですが,「受胎告知が混雑していて見ることができないかもしれない」という恐れがあったので,開館時間の9:30より早い9:00に集合しました。お互いに顔を見合わせながら,みんないるなぁと確認をして,9:30になると,受胎告知へ。ちょうど前から4列目で並んで待っていたと言うこともあって,前から2番目の列から作品を10分くらいじっくりと観ていました。構図,色遣い,遠近法の技法,作品の題材などなど見ていると考える材料がいろいろありますね。すでにある作品の細かいところを発見するだけではなく,細かいところを作品に織り込んで創り出すためには何が必要か? と考えていかないといけないのでしょうね。そのためには,作品にどのような意味や意図を含めるのか? それを実現するにはどうすればいいのか? そしてそれを実現するための技術を習得すること等などが必要なのかなと考えてみていました。絵画などの芸術作品を見るだけではなく,何らかの形で自分にも当てはまることがあるのかなと考えてみるいい機会になったのかなと思います。

 そのあとのレオナルドの発明品や素描に関しても,興味深く見ることができました。レオナルドは感心のテーマがやはり幅広いです。あれだけ幅広いテーマに関心を持てたのも,ルネサンスという時代に彼が生きたという要素が大きかったとの思いを新たにしました。フィレンツェからミラノ,チェーザレ・ボルジア,そしてフランスへ…。という彼の荒い移り変わりだけでもこれだけになります。今の時代でも,これだけ移り変わることは,刺激のきっかけになりますが,これに時代の状況が加わるとその刺激もより大きなものになるのだと思います。



 このミラノに着いた当初のレオナルドが,ロレンツォの紹介状とともに公爵に提出したのが,有名な自薦状です。まるでエンジニアの売り込みかと思うような内容が九項目に渡って列記された後にはじめて,絵画も他の誰よりも巧みに描けます,と記してあるもの。フィレンツェにいた頃の彼を有名にしたのが絵画であったのだから,三十代に入った若きレオナルドの覇気を表しているというか,それとも,キザと言うか。ミラノ公もバカではなかったから,まるでつけ足しという感じで記されていた画家の才を大いに活用するのです。愛妾の肖像画まで描かせたのですからね。

ルネサンスとは何であったのか 第一部 フィレンツェで考える より

 そのあとは会場を移してお昼へ。今度予定しているイタリア旅行の件などをあれこれお話ししていました。参考になることが多く,少しでもいい旅になるように活かせたらいいなと思っています。それにしても,みんなやっぱりディープで詳しいところまで知っていますね。あまり,多くの人が行きそうでないところに興味があると言うことでも共通していますが^^;

 少し早めにお別れしてからは,結婚式でもお世話になったSさんのお店へ。ここでも,あれこれ話をして,今後の作戦になりそうなこともあれこれ話をしてから,東京を後にしました。

 この4日間でいろんな方々にお世話になりました。どうもありがとうございました。そして,またそちらに行く機会があると思いますので,そのときを楽しみにしています。また,みんなで楽しくワイワイやりたいです。