Res Gestae Populi Romani XIV - DE CHIRISTI VICTORIA

「キリストの勝利 - ローマ人の物語XIV」読了しました。

 宗教面ではローマはキリスト教を国教とし,伝統的な路線を捨てることになりました。これは「海の都の物語」とは違う要素になります。続くXV巻では,海の都の物語と同じく,政治的,国家的な終焉を迎えることになりますが,塩野さんは「滅亡」とか「崩壊」という言葉は使われないのでしょうね。



 この頃になって私は,ローマ帝国滅亡とか,ローマ帝国崩壊とかは,適切な表現ではないのではないかと思い始めている。滅亡とか崩壊だと,その前はローマ帝国は存在していなくてはならない。存在していないのに,滅亡も崩壊もしようがないからである。と言って,分解とか解体とかいう表現も納得いかない。全体が解体して個々の物体になったとしても,それは規模が小さく変わっただけで,本質ならば変わってはいないはずだからだ。

 となると,溶解だろうか,と思ったりする。ローマ帝国は溶解していった,のであろうか,と。

 少なくとも,宗教面では「溶解」が妥当であるように思う。なぜなら,ローマ人がキリスト教徒に敗れたのではなく,ローマ人がキリスト教徒になってしまった,のであったから。

キリストの勝利 - ローマ人の物語XIV 第三部 司教アンブロシウス 蛮族,移住公認 より

 ただ,「溶解」という言葉も興味深いと思います。「溶解」となると,自身が溶けて液体になるのか,自身が何かに溶け混んでほかのものになるというイメージがあります。前者だと氷が水になる現象で,後者だと塩が水に溶けて食塩水になる現象です。どちらも溶けた「もの」の性質は残るんですよね。氷と水は共通する性質が多いですし,塩と食塩水に関しても同様です。この「溶解」という言葉の通りにXV巻は展開されるのでしょうか? 残り1作が楽しみになってきました。

 順序は逆になりますが,ユリアヌス帝の記述は,久しぶりに塩野さんが活き活きと記述されている場面だったんじゃないかなと思います。ユリアヌスが若くして死んだという要素も考えられますが,塩野さんはあまり若さでは判断されないようになっていると思いますし,ローマらしさを維持しようとした最後の皇帝として,大きく取り上げ,最後に写真まで載せられたのでしょうか? ユリアヌス帝に関しては,ほかの場面でも物語られるのではないかなと思っています。要チェックかもしれませんね。



 それでいて「背教者」と呼ばれるようになったのは,キリスト教の側からは,「裏切者」と断罪されたからである。親キリスト教の大帝コンスタンティヌスの血縁者であるからこそ皇帝になれた身でありながら,反キリスト教的な政策を行った者という,怒りと侮蔑を込めた蔑称が,「背教者(アポスタタ)」なのであった。

キリストの勝利 - ローマ人の物語XIV 第二部 皇帝ユリアヌス 「背教者」ユリアヌス より



 すべての宗教も宗派も差別することなく公認する以上は,それらの宗教や宗派に,帝国は同等の環境を提供する義務がある,というのがユリアヌスの考えになる。だが,そうなれば,「ミラノ勅令」からの半世紀,キリスト教会が受けてきた諸々の特典も,全廃さるべきということになった。三十歳のユリアヌスは,この五十年の間,速さと激しさを増す一方であった,ローマ帝国キリスト教国かという時代の流れに,逆らうと決めたのである。

キリストの勝利 - ローマ人の物語XIV 第二部 皇帝ユリアヌス 「背教者」ユリアヌス より



 宗教が現世をも支配することに反対の声をかげたユリアヌスは,古代ではおそらく唯一人,一神教のもたらす弊害に気づいた人ではなかったか,と思う。

 古代の有識者達がそれに気づかなかったのは,古代は多神教の世界であって,自分の信ずる神とはちがっても,他者の信ずる神の存在を許容するこの世界では,それを許容しない世界を経験していないために,考えが至らなかったにすぎない。多神教の世界であった古代で唯一の一神教ユダヤ教だが,選民思想を持つユダヤ教徒は,自分たちの信仰に他者を引きずりこむ考えからして持っていなかった。この古代にあってキリスト教だけが,異なる考えを持つ人々への布教を重要視してきた宗教なのである。

 しかし,元首政時代のローマの有識者でも気づかなかった一神教の弊害にユリアヌスが気づいたのは,それは彼が,キリスト教の振興に誰よりも力をつくしたコンスタンティヌス大帝の親族であり,長年にわたってその息子コンスタンティウスの政治を身近で見,感ずることのできる環境で育ったからだと思う。近親者であったからこそ,他の人には見えないことも見えたのだ。この意味では,ユリアヌスに投げつけられ,今日でもこの通称で続いている「背教者(アポスタタ)」という蔑称は,実に深い意味のこもった通称とさえ思えてくる。もしかしたら,三十一歳で死んだこの反逆者に与えられた,最も輝かしい贈り名であるのかもしれない。

キリストの勝利 - ローマ人の物語XIV 第二部 皇帝ユリアヌス 皇帝ユリアヌスの生と死 より