ルネサンスとは何であったのか − ルネサンス著作集1

ルネサンスとは何であったのか − ルネサンス著作集1」読了しました。

 ルネサンス著作集の入口としての作品という,僕が5年前に書いた評価は帰る必要はないというのが今の印象です。これまで塩野さんのルネサンスものを読んだ方が,もう一度読み返すにはそのための復習として,初めてルネサンスものを読まれる方は,その入門書としての位置付けにあると思います。
 2巻以降の作品は,政治的,経済的な内容になってきますが,「ルネサンス」という言葉に対する印象としてもたれることの多い「芸術」に関する内容に触れられているところが,塩野さんの「ルネサンスもの」におけるこの作品の特色かもしれませんね。最後の「主役たちの略歴一覧」では,芸術家が多く,2巻以降の主人公が少ないことも特色かと思います。2巻以降の主人公は本作で詳しく書いているので,短くまとめられないという塩野さんのお考えが伝わってきそうです。マキアヴェッリが例外でしょうか?

 これ以降,ルネサンス著作集を読み進めていく中で,気になった一説を取り上げていくのはこれまでと同じスタンスですが,Diaryで書くのは,これまでは取り上げなかった部分に限定しようと思います。「以前は書いていたのに,今回ここで書いた」ということは,僕の考えやスタンスが変わってきたということを示すものになるのでしょう。成長と書くと大げさかもしれませんね。ひょっとしていると,退化しているから,「今回ここで書いた」のかもしれませんしね。



 生命力(ヴァイタリティ)ならば,子供でももっている。いや,若いうちの方が生命力は旺盛でしょう。しかし,それに意志の力が加わってくると,やる気ないし覇気に変わる。これをラテン語ではヴィルトゥス(virtus)と言い,イタリア語ではヴィルトゥ(virtu)となって,徳,長所,力量,能力,器量などを意味する言葉です。生命力ならば自然が与えたものだが,ヴィルトゥスとなると人間の意志力の成果,というわけ。生命力ならば誰でももっているが,ヴィルトゥスとなると誰にでも恵まれるとはかぎらない,ということですね。

ルネサンスとは何であったのか 第二部 ローマで考えるより