顔のない裸体たち

 平野さんの顔のない裸体たちを読了しました。
 ネットならではのテーマを扱った作品として,どのような内容かと思って読みました。高瀬舟のときのように,実験的な意味合いのある作品かなと思って読みました。
 ウェブ進化論ウェブ人間論を読んだときに,「リアルの世界」と「Webの世界」の「境界」について書きました。
http://d.hatena.ne.jp/Iwao/20070102
http://d.hatena.ne.jp/Iwao/20070103
今回の作品も,この両者の「境界」が分けられたときとそれが融合するときの現象の1つとして,検討する材料になるのではないかと考えます。
 ただ,電車の中ではなかなか読みづらい作品ですね。直球的な表現もたくさんありますし。



 現実の社会と接するのが,面(おもて)であり,外側であるならば,モザイクのこちら側は裏であり,内側である。そうした発想で,ネットの世界は,常に簡単に内面化してしまう。
 他方で,<吉田希美子>を知る者たちは,当然にその顔のみを知っていて,彼女の裸体を知らなかった。服に隠されているからである。そこで肉体とは,何時しか何か,内面的なもののようになってしまっている。


顔のない裸体たち 1 <吉田希美子>と<ミッキー> − 平野啓一郎より


<片原盈>と結婚するというのは,どういうことであろう? それは自分が,本当に<ミッキー>になってしまうということではあるまいか? 自分は飽くまで<吉田希美子>である。その他方で<ミッキー>という淫乱な女を一時楽しんで演じていた。それが今,逆転しようとしている。自分自身が,<ミッキー>であるということ。<ミッキー>に乗っ取られ,<ミッキー>こそが<吉田希美子>を演じているということ。いや,それはもう,ずっと前から起こっていた事態ではあるまいか? そして<片原盈>は,それを最終的に確定しようとしているのではあるまいか?

顔のない裸体たち 13 事件前 − 平野啓一郎より
顔のない裸体たち (新潮文庫)

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