新年恒例の文章を

 今年も拝見させて頂きました。ものすごく前向きであったことに,とても勇気づけられた印象があります。現在,訳あって,海を渡っており,国内とは違った組織に所属しています。その観点から文章を読むことができたのも,この印象を持った理由かも知れません。
 この10年で私自身にいろんな動きがあったのですから,その周辺で大きな動きがあるのは当然だと考えます。その動きを意識する一方で,動きに完全に巻き込まれずに,自分が何をするのか? 何ができるのか? それを決めるために必要な知識,判断力を持つにはどうすればいいのかを考えることが重要なのかなと考えます。そのうえで,動きを造り出す担い手になることができればと考えますが,これは一朝一夕には行かないことでしょう。
 人との出会いに限らず,ある仕事との出会い,組織との出会い(これは,どの組織に所属することになったかということになりますが),プロジェクトとの出会いなどを含めて,一期一会という考え方は,技術者として,社会人として非常に重要な意味を持つとの想いが日々強くなっています。昨年まで所属していた組織で,とあるプロジェクトを動かすきっかけを持つことができたことは,私自身にとって貴重だったと考えています。また,今,このタイミングで,海を渡って,日々を過ごし,国内では会うことのなかった方々と日々接しているということの位置付けをしっかりと考えたいと思います。まだ,半分を経過したところですが,昨年夏からの1年間で海を渡ったというこのタイミングは,非常に良かったのではないかと個人的には考えています。

 多くの国で,今新たに,何もないところから,私の仕事の主な守備範囲としている技術分野の開発,設備増強をしている場面には,業務を通じて触れる機会がありました。詳細にここで書くことはしませんが,そこで感じたことは,彼らが大きな使命感を持って,目標を達成するように,努力している姿でした。新しい知識や技術を習得する重要性を認識し,限られた時間で最大の効率を上げるひた向きさは,我々日本人の先輩方が持っておられた姿勢であり,我々はその恩恵を強く受けていると感じます。
 縁あって海を渡っていますが,これも期限が限られていることです。「この期限をいかに活かして,一人の技術者として何をすることが重要か?」そのことを考えるときに頭に浮かんだのは,彼らのひたむきな姿勢でした。同じ技術者として,相通じるところが多くあると考えます。
 この1年間は,「何をするか? どのようにするか? いつするか? どの順番でするか?」を自問して,実行に移す日々の連続です。今回,海を渡るにあたって,過去の先輩方がなさったことの話を聞きましたが,皆さんやっていらっしゃることの内容やアプローチはバラバラでした。物事を進めるにあたっての決められた「ルール」はありますが,その「ルール」は,社会的,人間的,慣習的に逸脱してはいけない最低限の決まり事であり,その「ルール」に限定されない「アプローチ」は幅広く,人それぞれだったと,出国前に考えました。また,過去に渡って,「アプローチ」の引継ぎは,それほどなされていなかったという印象を持ちました。課題設定からアプローチ,その結果を出すことまでを含めたプロセスを経験することも,この1年間での重要な事項ではないかということは,海を渡ってから何度も考えたことです。新しい環境の中にいるということもあり,課題の設定そのものが間違っていることや,課題へのアプローチが間違っていることが連続していることは事実です。しかし,この試行錯誤は国内に留まっていては経験できないことだったと考えています。また,この失敗は,国内に戻って何かをするときに,活かしていくことで,初めて生きるのではないかと考えます。

 私が初めて海を渡ったのは,約3年ほど前のことです。それまでは一度も海を渡らず,国内にいました。初めて海を渡ったときに痛感したことは,私自身の技術力の不足でした。国内で十分な地力を身につけ,外に出ても充分に活躍できる技術力を身につけること。これをせずに海を渡っても,十分な活躍はできないということを思い知らされました。それから,海を渡る機会を多く得ることができましたが,国内での技術,知識がなければ,海を渡っても仕方がないという想いは強くなる一方です。もちろん,私が経験したように,最初の「気付き」として,海を渡ることも重要ではないかと考えます。

 気がつけば,今回の海外生活も折り返し地点です。上で書いたようなことを今一度考えることができたのは,残りの半分の時間の使い方を見直す意味でも,日本に帰ってからの自分自身に活かすという意味からでも,大切なことであったのではないかと考えます。