チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷 − ルネサンス著作集3

チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷」を読了しました。
 第三部の流星は,文字通り,チェーザレが絶頂から死を迎えるまでの立場が「流星」の様に落ちていく様子,その生涯が「流星」の様に短いという様子,そして「流星」の様に輝きを失っていく様子を表したタイトルなんだなと思って読んでいました。
 この作品を読むたびに「あるいは優雅なる冷酷」とはどのようなものか? と考えて読むのですが,まだ明確な答えを見つけていないような気がします。いつかわかるときが来るのかな? と思ったりもするのですが,何となくぼんやりとしたイメージでもいいのかもしれません。



 チェーザレは、この自分にとって最大の敵を、彼自身が力を貸して栄光の座に押し上げてやったことになる。彼の犯した最大の誤りであった。彼は、賭けに、というよりも政治に負けたのである。


チェーザレ』の最後の一行を書き終えた時,東の空がバラ色に染まりはじめていましたね。その日は,三十歳の誕生日だった。ペンを置きながら,私自身の青春に訣別した想いでした。大人の世界に入って何をやるのか予定も立っていないのに,青春はもはや背後に置いてくるしかないとでもいう想いでしたね。
 作家には必ず一作,なぜか若い読者に好まれる作品がある。私にとってのそれは,『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』です。この作品だけはなぜか,読者が常に若い。これが発表された当時は生まれてもいなかった人たちまでが,読んでくれているようです。主人公が若く,それに立ち向かった私も若かったからでしょうか。チェーザレ・ボルジアも燃えきった男だけれど,私のほうも,書ききったと言える作品だからでしょうか。